~もっといきいき もっとほのぼの ニシン漁で栄えた古平町~
江戸時代初期、良好な漁場として古くから漁師に知られていた古平は、寛政11年(1799)に幕府直轄の古平場所となり、寛永5年(1852)にニシンの漁獲量が西蝦夷地で一番になったと伝えられています。人々が定住し始めるのは安政5年(1855)からで、海岸線を中心に集落が形成されていきました。
【まちが築き始めた明治時代】蝦夷地が「北海道」となり、古平は「古平郡」として発足されます。鰊のほか、古平川上流で金鉱の露頭が発見されたことでできた稲倉石鉱山は、当時の生産高は全国第一となります。さらに加工業も新たに始めたことで、さまざまな側面を持つ古平へと発展していきました。
【鉱山や加工品で栄えた昭和〜平成時代】
明治には開拓出張所が置かれるなどし、漁業、鉱山、加工業などで東積丹地域の中心地として発展を続けた古平は、現在はイチゴ栽培などの農業にも力を入れています。
江戸時代初期、良好な漁場として古くから漁師に知られていた古平は、寛政11年(1799)に幕府直轄の古平場所となり、寛永5年(1852)にニシンの漁獲量が西蝦夷地で一番になったと伝えられています。人々が定住し始めるのは安政5年(1855)からで、海岸線を中心に集落が形成されていきました。
【まちが築き始めた明治時代】蝦夷地が「北海道」となり、古平は「古平郡」として発足されます。鰊のほか、古平川上流で金鉱の露頭が発見されたことでできた稲倉石鉱山は、当時の生産高は全国第一となります。さらに加工業も新たに始めたことで、さまざまな側面を持つ古平へと発展していきました。
【鉱山や加工品で栄えた昭和〜平成時代】
明治には開拓出張所が置かれるなどし、漁業、鉱山、加工業などで東積丹地域の中心地として発展を続けた古平は、現在はイチゴ栽培などの農業にも力を入れています。