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【後編】慣れない沖縄での出産と子育て。頼りにしたのは地元の人の情報と海や山の癒しだった里帰り出産せず、2人の子どもを沖縄で出産。コロナ禍での苦労や乗り越えた方法を伺います

移住を叶えた皆さんに、自身の移住体験について"ありのまま"を伺うインタビューシリーズ。今回ご登場するのは、2019年に神奈川県川崎市から沖縄県那覇市に移住したアーティストの大出訓子(おおいで・くにこ)さん。

後編では、移住先での出産や子育て、仕事のことなどについてお話いただきます。

文/田代祐子

馴染みのない沖縄で出産。近所の口コミを頼りに

――出産は沖縄でされたと聞きました。

大出訓子さん(大出さん/以下同じ):はい。里帰り出産は私の母が高齢ということもあり、サポートしてもらうのは難しいだろうと思って考えませんでした。主人が出産に立ち会いたいタイプの人でしたし、荷物も大変ですし。


――馴染みのない土地で、産院はどう探したのでしょうか。

大出さん:産院は歩いていけて、評判が高そうな場所を探しました。目星をつけてから、近所の人に「◎◎産院に通おうと思っているんです」と伝えると、「うちの家族、みんなそこです!」とか「私の同級生、そこで生みました」など、口コミ情報がいっぱい入ってくるんです。地元の人が言うのであれば大丈夫そう、とみなさんを信じて決めました。

 

――移住先での子育て、不安ではなかったですか?

大出さん:もちろん、ありました。子育てを勉強するのって、子どもができてからという人が多いと思うんです。周りに友達がいれば、些細なことでも直接話して聞けたりできたんでしょうけど、それができないのは少し不安だったし、つらかったですね。

しかもコロナ禍でもあったので、対面しづらいし、マスク越しの会話だから表情がわかりづらかったり……。そういう時期だったので、Youtubeで同世代の子育てを見まくりました。つらい思いをしたらどうするか、どうやって声掛けをするか、というような動画を夜な夜な見て、乗り越えました。

LINEや電話で友達に相談することもありましたね。でも小さい子がいる人は、忙しかったり、通話中に子どもに電話を奪われちゃったりするので、なかなか電話もできなくて。旦那さんも働いているから、1日のなかでちゃんとした会話をすることがなくて……。そこがつらいといえばつらかったです。

那覇市は保活激戦区!仕事と子育ての両立を模索中

――大変でしたね……。つらいとき、何か助けとなるものはあったのでしょうか。

大出さん:児童館や支援センターがあるのを知り、毎日のように通うようになりました。外に出て、体を動かして、ママさんたちとちょっと会話をして、そこで悩みを解消するという感じです。あとは前編でも少し話しましたが、ちょっと行ったところに海や川、山があって、大自然を満喫できるのも息抜きになりました。

 

――沖縄県は待機児童が多いと聞きますが、そこはいかがですか?

大出さん:那覇市は子どもが多く、選ばなければ入れるこども園もあるのですが、我が家は車が1台で主に夫が使用しているので、基本的に何をするにも徒歩圏内で探す必要があります。歩いて行ける園を探した結果、長男は待機児童になりました。

希望していた園でたまたま退園した子がいたので、1歳11ヶ月で途中入園ができました。次男も長男と同じ園に入園させたかったのですが叶わず…1年待機児童となりました。翌年も長男と同じ園に入ることは叶わなかったのですが、違う園に2歳で入園することができました。

兄弟ポイントで同じ園にだいたい入れると聞いていたのですが、ライバルが多かったようです。

 

――大変さが伝わってきます……。子育てで多忙の中、移住後の仕事スタイルについて教えてください。

大出さん:移住前の仕事は360日働いているような感じでした。それを辞めてから、当時と同じテンションで働くことはまずできなくて。家の中でできる仕事はないかと考えました。ありがたいことに、メールでデータを送るだけの仕事もあって、イラストを描いたり、映画の美術の仕事を受け、自宅で描いて納品したりしています。

また、沖縄でリゾートホテルのディスプレイ用品の買い付けや、「ここへ行くとこういうものが売っているよ」といったディレクションの仕事をすることもあります。夫が子どもを見られるときは、自宅作業以外に現場作業なども短期間でやったりもしています。昨年は、沖縄で制作した絵の個展などを沖縄県内でさせてもらいました。

本当はイベントなどで、絵のワークショップや観光業との仕事もしたい夢があったのですが、子育てとの両立は難しく思うようにいかない中で、できることを模索しながら現在はやっています。

 転勤族の多い環境で移住の悩みを分かち合えた

――移住を考える際に、地元の人となじめるかという不安もありますが、大出さんはいかがでしょうか。

大出さん:個人の性格によって大きく変わるとは思うのですが、私はあまり人見知りしないタイプなので、コロナが落ちついた後は児童館や支援センターに行って、気が合いそうな人とはすぐ仲良くなれました。

那覇市は転勤族がすごく多くて、4~5年でいなくなっちゃう人も多くて、寂しい思いは何度かしましたが、その分、移住の悩みを分かち合える人も多かったです。

 飲食店などのお店に入ったときに、よく観光客と思われ、ないちゃー(沖縄県以外からきた人)扱いされますが、全然気にしないタイプですね。「もう私は6年も住んでるんだから!」と堂々としています(笑)。

――沖縄にはこの先もずっと暮らしていく予定ですか?

大出さん:初めは5年ぐらいで東京に戻ると夫に言われていたのですが、それは移住するための口実だったようで(笑)。私としては、さっき話した今帰仁に家を建てて住み、子どもが巣立つなど私たちが自由になったタイミングで、そこを売り払ってまたどこかに移り住んでもいいなと。自分たちの人生は一度きりなので自由に生きたいなと思っています。

 ――最後に、これから移住を考えている人にメッセージをお願いします。

大出さん:コロナを機に田舎暮らしに注目しだした人も多いかと思います。もし、住みたいと思った場所があったら、まずはその場所に行って、その土地のことをよく知ることが大事だと考えています。可能だったら、マンスリーマンションに1度住んでみて、季節を感じて、その土地のものを食べて、いろいろ体験して、自分に合うか合わないかを判断してみてください。

前編はこちら)

沖縄県那覇市ってどんな街?

那覇市は人口約32万人の沖縄県の政治・経済・文化の中心地です。国際空港である那覇空港や、県外・周辺離島とを結ぶ那覇港を擁することから、沖縄県の玄関口としての役割も担っています。都市化が進む一方で、昔ながらの琉球古民家や世界遺産・首里城などの史跡など、沖縄の伝統的な文化にも触れることができます。また、市場や国際通りでの買い物などを楽しむ観光客で一年中賑わっています。

◆那覇市情報ページ

https://tabisumu.jp/municipality/OKINAWA/naha


 

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