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都心を離れ地方で暮らす方に、移住についてありのままを伺うシリーズ。今回は、東京都足立区から岩手県陸前高田市広田町に移住した、野尻さんにお話を伺いました。
インタビューライター/長井杏奈
写真提供/野尻さん
人々の力強さや温かさに触れ、社会人半年で移住を決意
―本日はよろしくお願いいたします。まずは、初めて陸前高田市を訪れたころのお話から伺えますか?
初めまして、野尻です。私が初めて陸前高田に行ったのは2015年5月、大学3年生のころでした。友人がSETという、陸前高田の町づくりや人づくり、社会づくりの担い手を育てるNPOに所属しており、そこで主催するイベントにスタッフとして参加しないかと誘われたことがきっかけです。当時は移住する気などなく、東北やNPOにも特に興味はありませんでした。
しかし、もともと接客や人と関わることが好きで、せっかく誘ってもらったからと思い、運営スタッフとして参画。そこで町の方との交流を通して、地域課題や町の人の思いを実現させるプログラムを作りあげました。このたった1回の経験で、私は陸前高田に惹かれ、そのままSETのメンバーとなりました。
―どこに魅力を感じましたか?
陸前高田といえば震災のイメージが強いですが、町の人たちは東京で暮らす私たちよりはるかに楽しそうで、力強く生きていたところです。人の温かさはこの町の魅力だと思います。
―実際に移住したのはいつですか?
大学を卒業して、半年後です。私はベンチャー企業に就職して携帯電話の販売などを行っていましたが、大学3年で参加したプロジェクトが終わってからずっと、町の人やSETのメンバーと繋がり、月に一度は陸前高田に足を運んでいました。しかし仕事が忙しくなって2ヶ月も行けなくなったとき、町の方と漁業や畑の手伝いをしていた時間が愛おしく感じ、寂しくなりました。それがきっかけで、移住を決めました。
―社会人生活半年で会社をやめて移住することに、迷いはありませんでしたか?
はい、その点については特に心配はなく、「私は陸前高田で何ができるのだろう」ということだけ考えていました。2017年9月に移住し、10月から市内のカフェでアルバイトしながら、Change Maker’s Collegeというスクールに通いました。ここは持続可能なライフスタイルを探究する場で、同期と楽しい時間を過ごしました。
スクールの運営スタッフはメンターとしての役割もありますが、同じ場所で暮らす仲間として活動していました。そこで子どものころ以来の自由な時間を過ごし、自分がやりたいことを見つめました。