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【前編】「一次産業への貢献」をキーワードに、陸前高田と高知の二拠点生活を目指す

都心を離れ地方で暮らす方に、移住についてありのままを伺うシリーズ。今回は、東京都から岩手県陸前高田市に移住した溝渕さんにお話を伺いました。


文/長井杏奈

自分のスキルを活かせるプロジェクトへの参加を通して、陸前高田に移住

 ―本日はよろしくお願いいたします。まずは、移住までの経緯を教えてください。

初めまして、溝渕です。私は高知県出身で、進学を機に千葉県へ引っ越しました。学生時代はデザインを学び、インダストリアルデザインを専攻しました。

卒業後は東京で、飲食チェーンの会社に就職し、店舗の設計や施工における監理の仕事に従事。いつか高知に戻ろうと考えていたのですが、東日本大震災がきっかけで少し考えが変わりました。

―どのような変化があったのですか?

もともと地域活性化に興味があったこともあり、すぐ高知に戻るのではなく、東北に行ってみようと思いました。そこでNPO法人ETICが主催する地域おこしサミットを見学し、「右腕プログラム」という事業を知り応募しました。

―右腕プログラムとはどんなものですか?

被災地で奮闘している企業に対し、経営者の「右腕」として即戦力となる人材を派遣するプログラムです。私は仕事を通して、暮らしやエネルギーについて考える機会が多くありました。また、多くの建物が津波で流される映像が流れる中、雑誌などで建築家の方々が自分たちの存在価値を問い直すような記事を見かけては、自分自身の仕事の在り方についても考えさせられました。

そういった背景から、長谷川建設のエネルギーに関する事業にマッチングしていただきました。移住前は面接で一度だけ陸前高田を訪れていましたが、引っ越したのは2013年9月のことです。受け入れ先が建設会社だったため、陸前高田の復興工事を担う大工さんのためのアパートを借りられて、そこで暮らし始めました。

バイオビジネスから宿泊施設運営へのキャリアチェンジ

―移住後はどのようなお仕事をされていたのですか?

木質バイオマスの普及プロジェクトに携わりました。丸太から柱や壁材を製材する過程では、木くずが発生します。それを木質ペレットやチップという燃料に加工してストーブやボイラーに使う技術があり、これを広めていくというプロジェクトでした。

-暮らしやエネルギーなど、もともと興味があったことと重なる内容ですね。

はい、まだ知られていない木質バイオマスを多くの人に知ってもらうため、地元の催事に参加してPRするなど色々な活動をしました。やりがいはありましたが、非常にニッチな分野なのでなかなか目に見えた結果に結びつけられませんでした。2015年には同僚が増え、少しずつ仕事を引き継いでいきました。

―引継ぎをされて、ご自身は何か新しいお仕事を始めたのですか?

長谷川建設の社長が箱根山テラスという宿泊施設も経営しており、そちらを手伝っていました。箱根山テラスは「木と人をいかす」というテーマで震災後にオープンした宿泊滞在施設で、単なる宿泊機能だけでなく、カフェやワークショップルームなどもあります。

2017年5月からこちらに参画し、木質バイオマスの仕事を引き継ぎつつ、マネージャーとして働いていました。

―木質バイオマスビジネスから宿泊施設の運営となると、かなり異なる分野ですね。

箱根山テラスはオープン前の準備を手伝っており、オープン後もカフェ利用で度々訪れていましたし、前職も飲食業だったので違和感はありませんでした。2020年6月ごろに後継スタッフが入り、その方に引継ぎをして離れました。

今は、起業の準備として様々な仕事に携わっています。

陸前高田と高知の二拠点で地域に貢献するビジネスを展開する

―どのような事業で起業をされるのですか?

「食」「循環」「次世代への継承」をテーマに、一次産業に関する人材ビジネスをイメージしています。農業や漁業では個人事業主や家族経営が多く、それぞれの繁忙期に、どうしても人手が足りなくなります。また、人口が少ない地方では、繁忙期だけのスポット的な仕事で働ける人はそれほど多くなく、現場仕事の片手間で求人するのも大変そうです。

こうした問題を解決するために、一次産業と人材のマッチングをしたいと考えています。食を支える一次産業を「人」という側面からサポートし、次世代につないでいきたいです。

まずは自分自身で、どの時期にどんな仕事があるか、具体的にどんな業務を行うのかなど理解するため、2021年3月からお声がけいただいたところで仕事をしています。

―具体的にどんなことをされていますか?

知り合いの農家の畑の手伝いから事務作業、イベントの企画や運営サポート、スケジュール管理など、様々です。単発の小さいものも含めると10社ほどとお取引があり、今のところ現場サポートが少ない冬場は、非営利団体から事業サポートの仕事を受けています。

いわゆるフリーターとしての活動になるため収入に関して多少心配もありましたが、やってみて可能性はあると感じています。だいたい月15万くらいの収入があるので、地方で一人で暮らすのであれば十分です。

ただ、小さな仕事を同時並行で抱えてみて、あちらこちらとのやりとりに追われる大変さを実感しています。自由に使える時間が少ない方でも参画しやすくするには、仕組み化する必要がありそうです。スポット人材が欲しい人と隙間時間に副業したい人のマッチングを事業化するには、収益面のハードルが高そうなので、一次産業の関連団体や行政との連携が欠かせないと思います。

―もともと高知に戻ることも考えられていましたが、そのあたりは何か計画はありますか?

移住した当初は「陸前高田でできることをやりきって、その後に高知に帰ろう」と考えていました。実家が商店街にありさびれていく過程も見ているので、カフェを開いて活性化できたらなとぼんやりイメージしていました。しかしここ数年は考え方が変わってきて、どこか一か所に拠点を置くのではなく、二拠点生活もありかなと思っています。

私は地元を離れてもう20年経っているので、高知に行っても「帰る」というより「新天地に移住する」という感覚です。陸前高田で多くの方と出会い、関係性を深めてきた中で、それをすべて捨ててゼロからやり直す必要はないと感じました。陸前高田と高知を行き来しながら、双方の振興に貢献していきたいと考えています。

―最近では二拠点生活をする方も増えていますしね。高知ではどのようなことをされる予定ですか?

木質バイオマスの事業に携わっていたこともあり、高知でも林業やその関連産業に関わりたいと思っています。昨年から高知に帰省した際になるべく長期間滞在し、後々の仕事に繋がりそうな方を訪ねて関わり方について意見交換したりしています。

また、陸前高田界隈でも林業をされている知り合いがいるので、木の伐採など初歩的なことを教わっているところです。



震災をきっかけに陸前高田に移住した溝渕さん。

次回は移住前後の変化や陸前高田の魅力などについてお伺いします。

後編はこちら


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