【移住者インタビュー】30代で奄美大島へ移住。都会の疲れを島暮らしが癒してくれた(前編)「一度しかない人生だから」と移住を決意。音楽療法士として働く女性が叶えた“夢”
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移住を叶えた皆さんに、ご自身の移住体験について"ありのまま"を伺うインタビューシリーズ。今回は、千葉県から鹿児島県奄美市(奄美大島)へ移住した瀧 直美(たき・なおみ)さんにお話を伺いました。
瀧さんは奄美大島で数少ない「音楽療法士」として尽力。主に高齢者や障がい者に向けて、音楽を通して認知・運動機能の維持改善をサポートしたり、不安状態を和らげたりする活動を行っています。ご自身の移住体験をはじめ、配偶者との死別、音楽療法士としての転機、奄美大島での生活をお話しいただきました。
文/住岡
「私の故郷ってどこ?」疲れた身体を離島が癒してくれた
──本日はよろしくお願いいたします。まずは瀧さんが移住するまでの経緯を終えてください。
瀧 直美さん(以下同じ):生まれは神奈川県なのですが、両親が転勤族で5歳の頃に福島県へと引っ越しました。その後は大学進学を機に上京。実家も福島から千葉へ移ってしまったので、ずっと昔から自分の“地元”っていうものが欲しいなと思うことが多くて。「わたしの故郷ってどこだろう?」と漠然と感じていました。
大学卒業後は、東京にある音楽事務所に就職しました。勤務先は渋谷で、毎日満員電車に乗って通勤。仕事も激務で、疲れ切って電車で寝過ごしてしまうのも日常茶飯事なほど、時間に追われていました。仕事の内容に面白みは感じつつも、自分の立案した企画が通るためならと終電ギリギリまで働く。そんな目まぐるしい毎日を過ごした20代でした。
──そんな慌ただしい毎日を送っていた瀧さんが、移住を考える転機となったのは?
瀧さん:徳之島(※奄美群島の離島のひとつ)に住んでいた祖母が体調を崩してしまい、お見舞いに定期的にいくようになりました。当時は格安航空も登場して、昔より気軽に行けるようになったんですよ。
お見舞いとして何度も通ううちに、慌ただしい東京の日々と比べて、ゆったりとした徳之島の生活や鮮やかな自然に惹かれるように。そして段々と「わたしも島で暮らしてみたいな」という気持ちが芽生えてきたのが、移住を考えた最初のきっかけだと思います。
そして音楽療法士に転職して3年後、「一度しかない人生だから」という気持ちで移住を決意しました。
夢だった音楽療法士に。地方の人をもっと元気にしたい
──現在は奄美大島で数少ない音楽療法士として活躍されていますが、目指した理由は?
瀧さん:昔から「音楽療法士」という職業に憧れがありましたが、自分には無理だと決めつけ、早々に諦めていたんです。
31歳の頃、持病の急変により夫が亡くなりました。入院生活も長くて毎日お見舞いに行って会えていたためか、直後は実感がなくて。ぽっかり何か抜け落ちたような、どこか「心の置き場」を求めている感じで。立ち止まって心の整理をしたときに、ふと「音楽療法士」という昔からの夢が蘇ってきたんです。
夫の死に直面して、「人生はどうなるか分からない、後悔したくない」という思いが強くなり、一念発起して音楽療法の専門学校に入学。ずっと胸に抱いていた、夢の世界に飛び込みました。
──夢を叶えたのですね。
瀧さん:はい。また、音楽療法士をやるからには「地域に根差した活動をしてみたい」という理想もありました。都会には音楽療法士が沢山いる。高齢者にとっても、数多くの娯楽や支援事業がある。一方、地方には、そのような機会や支援自体が少ないなと感じたんです。
わたしが音楽療法士として、「もっと多くの人を元気にできる場所ってどこなんだろう」と考えた時に、都会から遠く離れた、わたしのルーツでもある「島」なのかなと思いました。それが移住を後押しする理由のひとつにもなったのかなと。
近所は絶景スポットだらけ。方言や郷土料理にもワクワク
──瀧さんのルーツのひとつでもある、徳之島の最初の印象は?
瀧さん:小さい頃に家族で何度か徳之島を訪れたことがあったのですが、頻繁に会うわけでもないのにわたしは祖母・曾祖母が大好きで。南国の人特有の穏やかな話し方や振る舞いに、とても癒されていました。
特に曾祖母は標準語が話せず、方言のみ。徳之島の英語より難しい独特な方言で、話す言葉自体は分からなかったのですが、身振り手振りで一生懸命話すのが楽しかった。幼いながらに、徳之島の人の優しさを感じていました。
また徳之島の郷土料理は、普段自分が食べているものとは全く違うように感じました。異国情緒あふれる食事にワクワクしたのを覚えています。そんな幼少期の思い出もあり、より「島への生活」への憧れが増していったんです。
──移住先を徳之島ではなく、奄美大島を選んだ理由はなんでしょう。
瀧さん:自然にあふれていつつも、スーパーや飲食店など商業施設が揃っている点。あとは本島への交通の便もよい。島で育った経験がないわたしでも、生活面で困ることはなさそうだと思って奄美大島を選びました。
奄美大島って、毎日「お気に入りの場所」が見つかるくらい素敵な島なんです。移住してもう数年経ちますが、いまでもガイドブックに載っていない地元の絶景スポットに感動することがあるくらいです。
明るくてパワフル!魅力的な奄美の人たち
──奄美にはどんな方が多いと感じますか?
瀧さん:奄美の人って都会の人に比べてとても「ノリ」がいいなというのが、わたしの印象です。仕事先の施設の職員さんも利用者さんも、音楽や踊りが大好きな方が多くて、ノリノリで楽しそうに参加される光景もよく目にします。
「六調」といって、結婚式などの慶事の際に踊るダンスがあって。奄美のひとはそれが身についていて、六調のリズムや、それっぽいリズムを聞くと皆踊り出します。
──活動するなかで、印象に残ったことはありますか。
瀧さん:特に心に残っているのは、音楽療法の仕事で出会った車いすのおじいさん。その方にはどんなアプローチをしても反応がなかったのですが、六調風のリズムを聞いた途端、座ったまま手踊りをし始めたんです。血が騒ぐ、みたいな感じで。それを見た瞬間に、音楽を通して奄美の高齢者の方々が更に元気になる手助けができている気がして、感動してしまって。
そういう意味では、わたしが音楽療法士の道を選んだ時から強く抱いていた「地域に根付いた活動がしたい」という夢が叶いました。わたしだけの力ではなく、奄美の人たちが、その夢を叶えてくれたと思います。
自然豊かで温厚な気候が注目されがちですが、奄美のひとたちのパワフルで明るい所も奄美大島の魅力でもあると感じます。
(後編へ続く)
鹿児島県奄美市はどんなまち?
奄美大島は鹿児島県鹿児島市から南へ380kmの場所に位置する、鹿児島県の離島の中で最も大きな島です。令和3年7月26日に「世界自然遺産」に登録され、豊かな自然環境と温暖な気候から生まれた食や文化が魅力。そんななか奄美市は奄美空港なども有する、奄美大島の拠点となっている都市です。