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【後編】Uターン移住で気づいた岩手県陸前高田市の素晴らしさ。家族のサポートは活動の励みになる改めて感じた「Uターン移住」のメリットとは?

移住を叶えた皆さんに、自身の移住体験について"ありのまま"を伺うインタビューシリーズ。今回は、2021年に岩手県陸前高田市にUターン移住したワイナリー経営者の及川恭平(おいかわ・きょうへい)さんにお話を伺いました。 

及川さんは地元・陸前高田市にてワイナリー「Domaine Mikazuki」(ドメーヌミカヅキ)を日本最年少(当時27歳)で立ち上げた実業家。東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市に根付いた産業を作るため、自らの手で畑からワインを作り続けています。

後編では、Uターン移住をした際の及川さんのご家族の心境や、仕事と家庭の両立について伺います。

文/宮本デン

さまざまな場所を経験して感じた、地元・陸前高田市の魅力

――帰ってきたときに改めて感じた陸前高田市の魅力などあれば教えてください。

 及川恭平さん(及川さん/以下同じ):まず感じたことは「平和だな」と(笑)。田舎特有ののんびりした時間が流れていて、張り詰めた雰囲気もなく、まずそこに海外との違いを感じましたね。

それに陸前高田市が面している三陸の漁港は、世界三大漁場と言われるほどに海の幸が豊富です。小さい頃は普遍的すぎてその優位性をあまり気にかけませんでしたが、大人になって知識をつけてから戻ってみると、めちゃくちゃ楽しめることに気付きました。

――及川さんの好きなスポットとかはありますか?

及川さん:前編でも少し言及しましたが、やはり箱根山が好きですね。箱根っていうのは神奈川県にある有名な温泉街じゃなくて、陸前高田市の箱根山のことです(笑)。

ハコという地名は、水辺からすぐの切り立った崖や高い山を指すので、箱根山も海からグワッと切り立った崖になっているんですよね。崖の上から見下ろすと、目の前にはキラキラと輝く海。箱根山には、そんな絶景が広がっています。

この景色が小さいころから好きなので、そこに醸造所を建てることができるなんて、本当に嬉しく思いますね。

激動の生活を送る中で築いた家庭。子育てと仕事を両立する秘訣

――海外就労、移住、ワイナリー創設、結婚、子育て……と激動の日々を過ごしていると思いますが、仕事と家庭を両立させる秘訣などはありますか?

 及川さん:自分が経営者だからこそ、時間の融通が利くことが大きいです。要は個人事業主なので、出勤時間や退勤時間といった時間的な制約がないんですよね。

もちろんその分隙間を見つけて休日関係なく仕事をしなければいけないけど、子どもが急に熱を出したとかにはすぐに対応できます。時間を自分の采配でどうにでもできるのは、子育てとの両立においてかなり重要な割合を占めていると思います。

 また、今住んでいるのは僕の地元なので、祖父祖母を始めとした家族からのサポートも相当助かっています。自分の時間の制約が少ないとはいえ、共働きで子ども2人を世話するのは相当大変ですよね。

――子育てをする環境としてはどうですか?

及川さん:海も山も近い地域なので自然の中で過ごせるし、家族のサポートも受けられるので、まだまだ小さい子供を2人抱えている現状としては、良い環境だと思っています。

やはり地元なのでどの時期にどこに行くと良いかとかも知っていますし、お花見や海水浴など、季節ごとにさまざまな体験をさせてあげたいですね。

――奥様は陸前高田市出身ではないとか。

 及川さん:全く違う地域の出身です。でもお酒が好きですし、地元ならではの海の幸をお酒と共に楽しんでくれていますよ(笑)。

――移住するにあたって、奥様とはどういった話し合いをされたのでしょうか?

及川さん:妻も各地で様々な経験をし、海外にも飛び回って働いていたので「日本ならどこに住んでも一緒かな」という感じでした。

もちろん陸前高田市で一緒に住むことについて話し合いを重ねましたし、表面的には『旦那の実家に嫁いだ』という感じにはなります。でも「移住したんだからここに永住するぞ!」みたいな感覚は僕たちはあまりなくて、いくつかある拠点の一つ、ぐらいに思っているんです。

それでも僕自身、「Uターン移住するならパートナーに色々負担をかけるし、結婚は当分先になるだろうな」と思っていたので、そういう自由な考え方ができる部分もひっくるめて共感できる妻と出会えることができて、感謝しています。

Uターン移住もある意味「通過点」 何が最善かを常に考える。

――Uターン移住する方は、もっと覚悟を決めたり重く考えることが多いのかと思っていました……。

及川さん:もちろんそういう人の方が多いと思います。もし家族とか地域的な制約があってUターン移住をすることになっていたら、それこそ覚悟を決めなければいけないし、もっと複雑な感情や、別の葛藤があったはずです。

Uターン移住であってもこういう風に自由な考え方ができるのは、考えを理解してくれる家族や周りがあってこそ。妻と同じくいろいろな土地を経験したからこそなんですが、僕もあまり住む場所にはこだわりがないんですよ(笑)。住む場所よりも、何ができるか・何をやりたいかを優先しています。

――地元に対する閉塞感が合わずに上京した、という意見も耳にしますが、及川さんはいかがでしょうか。

及川さん: 震災が起こる前は、やっぱり「早く地元を出たい」という気持ちは強かったですね(笑)。

ただ、東日本大震災で全てが流されてしまった後、生まれ変わった陸前高田市を見て、以前とはまったく違う場所のように感じました。「知っているのに、知らない町」という不思議な感覚があり、だからこそ閉塞感も気にならなくなりましたね。

僕のケースは少し特殊なので、一般的な地元の閉塞感に対する解決策にはならないと思いますが……。

――拠点の一つ、ということは今後もまた移住する可能性がある、ということですか?

及川さん:今自分が陸前高田市にいるのは、それがワイナリーを経営する上で最善だと思うから。例えば農家の方々は高齢者も多いので、土地を手放す話とかもよく出てくるし、そこをいただいて畑を広げたりもしたい。でもそういう情報って、現地で待ち構えていないと掴みとれないものなんですよね。

だから、もしもっと畑が増えて、人に管理を任せられるような体制が整ったら、また拠点を別に移すかもしれない。それが最善だと思えるなら、そうしますね。

――最後に、これから移住を考えている人にメッセージをお願いします。

及川さん:どういう環境が合っているかというのは、本当に人それぞれだと思います。首都圏と地方を比べて、どちらが良いとは一概に言えないし、自分で見つけ出すしかありません。

でも移住を考えたとき、Uターンを毛嫌いせずに、フラットな気持ちで一度地元へ立ち返ってみると、また違う景色が見えるんじゃないかなと思います。

前編はこちら!)

岩手県陸前高田市ってどんな街?

岩手県陸前高田市は2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けました。現在は、復興事業のハード整備がほぼ完了し、賑わいの創出に向けた取組を進めています。2019年秋にオープンした津波伝承館や道の駅は、防災・減災学習を目的とした教育旅行生が訪れています。2023年には、県営キャンプ場の再開も予定されており、さらに多くの方々に陸前高田を訪れていただきたいと期待しています。

陸前高田市情報ページ

https://tabisumu.jp/municipality/IWATE/Rikuzentakata

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